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RE第3回:マツダだけではなかったロータリーエンジン車

1950年代末期から60年代初頭、ヴァンケル・ロータリーエンジンは夢のエンジンとして世界の注目を浴びた。

発表した西ドイツのメーカーNSUに対する技術提携の申し込みが殺到し、日本だけでも最終的には34社を数えたという。

今でこそロータリー=マツダの印象が圧倒的に強いが、ロータリーエンジンの実用化に向けて開発を進めたのはマツダだけではなかった。

 

トヨタ・ロータリエンジン

日本国内で考えると、トヨタは1977年の第22回東京モーターショーにロータリーエンジンを出展している。

愛知県にあるトヨタ産業技術記念館には、試作のロータリーエンジンが展示されている。

展示分には1971年にNSUとの技術導入契約を結んだとある。

ロータリエンジン試作機(2019年に撮影

燃費の問題で開発を中止したとある。

ロータリーエンジン開発と燃費の問題は切っても切り離せない密接な関係にあるのだ。

その背景には、1973年と1979年にオイルショックが起きたことが大きい。

燃費の悪いロータリーエンジンは世間の需要と大きく乖離していた。このオイルショックはロータリーエンジン開発において、燃費向上に難航していた各メーカーに対し、開発を断念する良き機会を与えることになったのである。

このトヨタロータリも昭和53年(1978年)の排ガス規制にも適合していたが、その後市販車に搭載されるまでに至らなかった。

それは燃費性能がロータリーエンジンとしてある程度向上させることに成功していたにせよ、レシプロエンジンに対して優位性を持たず、オイルショックの影響を鑑みれば、実用向きではないという判断になったのだと考えられる。

 

ニッサン・ロータリー

トヨタ以外にも、日産でもロータリーエンジンは開発されていた。

日産は1972年の第19回東京モーターショーでサニーエクセレントに2ローターREを搭載して出展した。

第19回東京モーターショー 出典元:WEB CARTOP

S10型シルビアにRE搭載を予定していたが、開発当時すでにマツダが先行していたため、関連する多くの特許への抵触を回避しながらの開発は困難であったという。

その後、1974年には型式認定公式試験を受けていたが、申請を取り下げている。

ロータリーエンジンの燃費の悪さが目立ったまま改善できず、その後発売には至らなかった。

S10型シルビア自体は1975年に発売されたが、そのラインナップ上にREは無く、510ブルーバードと同じレシプロ直列4気筒のL18型エンジンのみである。

S10型シルビア 出典元:日産自動車

日産のWEB上には"開発段階ではロータリーエンジンの搭載も囁かれましたが"(引用)とある。

実現していればマツダ以外の国産ロータリー4輪車として非常に興味深かった。

 

シトロエン・ロータリー

海外であれば、NSUをはじめ、いくつか販売されたモデルが存在する。

フランスのシトロエンは1960年にNSUとのロータリー共同開発をスタート。

ポルシェやベンツよりも早い時期にロータリーエンジンに目をつけていた。

1974年に、GSビロトールという2ローター横置きFFの車両を販売したが、わずか1年の販売期間であった。

ビロトールとは、Birotorと書く。バイローター。つまり2ローターである。

これもまた、先ほどから挙げている1973年のオイルショックの影響を受けたほか、GSビロトール発売の同年にシトロエンはプジョーの傘下となり、プジョーがロータリー開発に前向きではなかったことが影響した。

わずか847台の生産であった上、エンジンにも欠陥が残っていたため、リコールによって多くはメーカーで処分されており、現存車両は非常にレアである。

 

Youtube上にGSビロトールの走行動画があった。

排気音はロータリーらしい音がしている。

なお、このエンジンは吸排気共にペリフェラルポート仕様である。

エンジンの欠陥からリコールされたという事を踏まえると、

恐らく、マツダが解決した技術的課題「低速時の振動」は未解決だったのではないだろうか。

 

その他販売されなかったロータリー車

発売されなかった車両としては、メルセデスのC111というコンセプトカーも存在する。

燃費の問題や耐久性が基準を満たさなかったことから、途中からレシプロエンジンへ変更されて開発が継続された。

 

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で有名なデロリアン・DMC-12も、

最初はシトロエン&NSUの合弁会社製ロータリーエンジンを搭載する前提で設計されたらしい。

マツダ製ロータリー供給の打診もあったとか…

 

 

多くのロータリー試作車にとって、1973年の第1次オイルショックの影響は大きかった。

NSUが発表した当時のロータリーエンジンはそのまま使えるような出来ではなかったので、ライセンス料を支払いながら開発を進める必要があった。

研究開発を進める最中にオイルショックが起き、燃費改善の要請への対応が急務となった結果、まだモノに成りきらなかったロータリーエンジン開発を中止する良い機会となったわけである。

その後もレシプロエンジンは各メーカーにより進化発展を続けたが、ロータリーエンジンはマツダの開発成果のみに頼ることになったのは誰もが知る。

世界中にロータリー車があったら、はたしてロータリーエンジンに今ほど魅力を感じただろうか。

世界でロータリー研究が続いていればどうなっていただろうかと妄想しないロータリー好きは居ないだろうが、それと同時にマツダだけが開発を続けていたことも、孤高の存在として、ロータリー好きを生んでいる一因ではないだろうか。

ロータリー研究がもっと進んでいれば…と思う反面、どこかで孤高の存在であることも捨てがたいと思ってしまっている矛盾を感じる。

 

<<参考文献>>

・プロジェクトX(NHK)

・オーナーズバイブル ROTARY ENGINE archives

・ロータリーエンジン車―マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜

 

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